2008年08月07日
2008年08月04日
「雨仕舞のしくみ」
「雨仕舞のしくみ」基本と応用
石川廣三著 彰国社
1.雨仕舞とは
2.雨の降り方を知る
3.水はどう流れるかを知る
4.雨がかりを減らす
5.水を切る
6.水を返す
7.水を殺ぐ
8.水を導く
9.良い雨仕舞を実現するために
2008年07月06日
私の日本地図
私の日本地図 周防大島 未来社 宮本常一著
これを記録してもらった周防大島って幸せ。
この本を参考に祝島編をまとめたいですよね。
どうやって祝島のことをまとめればよいか参考になる本です。
中に「日見」というところに古い神楽が残っているとのべている中に祝島がでてきます。
日見の神楽もこの系統と書かれているので、今度調べてみよう。
~あとがきより~
しかし島民自体が島を開発するだけのエネルギーは失ってしまっているから、外部資本に対してはきわめて弱くなってしまっている。そして島に本当の愛情を持たない人々によって島が荒らされていく日もそんなに遠くはないのではないかと思う。島の有志といわれる人たちすらが、しきりに外部資本の導入をはかっている。日本の自然が今日これほどまでに荒れてきたのは、そこに住んでいる人たちの手によるものは少ない。たいていは外部から来てそうしてしまったのである。
島には今はまだふるさとの魅力といったようなものがある。平凡ではあるが素朴で誠実なものは失われていない。古くからの島民生活の延長もある。それが気のついたときは魅力も何もない島になっていたというようなこともあり得る。新しいものを拒否するのではなく、新しいものをどう受けとめるかの姿勢の検討が大切なのである。
島には島民たちのつくりあげ、守ってきた文化財も少なくないが、それが意識的に保護されているものはほとんどない。時間をかけて歩いてみると、それらの中には心にとまるものも多い。私は大島のうちのすべての部落と人の住む属島のすべてに渡って見た。人はそれぞれの環境の中で、それぞれ自分の生きる場をつくってきている。その努力と英知に
頭が下がるものがある。自分ひとりが住むのではなく、子孫を長くそこに住まわせるだけの世界をつくりあげていっている。そこに文化がある。
私はこの書物の中では、この島の文化が如何にして如何なる努力によって築かれてきたかについては書いてきた。そういう努力すらが無に帰ってしまう場合すらあり得る。それぞれの地方の文化はそこに住んでいるものが守らねば守りようのないものである。それが守られることによって新しい文化を迎え入れる力を生ずるのが真の文化的発展ではなかろうかと考える。文化の導入がふるさと喪失への道へつながるものであってはならないと思う。
昭和46年1月11日 宮本常一
2008年06月21日
初心に帰る日
午後からは福祉部会の見学会でユニットケアの先進「けま喜楽苑」へ。
初めてのユニットケアを設計するにあたりこちらの市川理事長が書かれた本を参考にさせていただいたこともあり、とても楽しみにしていた施設見学。
![]()
カメラを持っていったのに充電池を忘れて携帯の写真しかない。
<しかも私の携帯はかなり古いので画像がめちゃくちゃ小さい>
しかしまあ、この施設は写真で見るより空間を体験したほうが理解しやすいのでよしとしよう。
これみよがしのエントランスやロビーもなく、適度なセミパブリックスペースがいたるところに配置されている。施設に必ずある手摺もない。目からうろこの施設ではあるけど、これをどこにでも参考にできるわけではない。
何より驚くのは匂いがないことと、清潔で整理整頓されていること。
竣工当時はきれいな建物も7年もたつと汚れたり、匂いがこもっていたりするのだけど この施設にはそれがない。
職員には口うるさく指示すると言われていたけど、この清潔感がこの施設の質を保っているのだと思う。
居室の扉や居室内のトイレ、洗面と特に細部は参考になる箇所が随所にある。
細かい納まりの工夫がされており、
介護する人と建築家の意見交換が密に行われた証拠だろう。
『ユニットケアの食事・排泄ケア』人権を守る介護ハンドブック
かもがわ出版
特養がユニットケアに移行する当時、ソフトの部分で具体的にさし示すものがなかった。
制度化される前に「収容施設はもう作らない、地域のケア付住宅」を目指し
人権を尊重した介護を提唱し、実践した喜楽苑。
この本は私にとってユニットケアのバイブルだったのだけど、現実は厳しい。
思いはあってもなかなかこうはできないのが実情。
今はやりの(適合)高齢者賃貸住宅についてどう思うかという質疑に
市川さんは「だれがケアをするかが問題。素人がやってきちんとした介護ができるはずがない。問題がおきるのは目にみえている。私自身は特養を住宅化して最後までお世話するのが一番よいと思う」と答えられたのが印象的。
2008年05月19日
2008年04月22日
2008年03月30日
2008年03月21日
民衆史 その100年
色川大吉 「民衆史 その100年」
![]()
マーチンさんにお勧めであげたら、昨日船で偶然一緒になったマーチンさんから博士論文のテーマ、この本から影響を受けて少し変わったという嬉しい言葉を聞く。
今年からイギリスの大学で教えることが決まったそうで、1年に1度は研究のために上関に帰ってくるらしい。
幕末から明治にかけて上関・室津の人々の考え方や政治・経済がどのように変化したか調べていくとのことだ。
明治から昭和初期にかけて大島郡だけでなく上関や祝島からも多くの移民があり、その人達の奇跡をたどるのも面白く、しかもそれが祝島独特の株内につながっているのが興味深いとのこと。
上関のみならず祝島の歴史についても新しい展開がみられるかも。これからのマーチンさんの活躍に期待。
それにしてもイギリス人のマーチンさんがこのような微妙な日本人の心を理解できるのが不思議でたまらない。
2008年03月02日
2007年11月12日
仏教関係本
ネット21の原稿を書くために仏教の一夜漬け。
本願寺の本2冊は今回購入したものだけどそれ以外はすでに家にあったもの。
『日本仏教史』『仏教入門』『日本人の仏教史』『仏教と日本人』
一夜漬けなので見方がかたよらないように数を読んで勝負。
と読み直しているうちにどんどん脱線。
他の本をまたひっぱりだす。
『忘れられた殉教者(日蓮宗不受不施派の挑戦』
奈良本辰也氏の共著になっていたので中身も見ず購入してあったのだけど
本棚で冬眠中だった本。今回初めてタイトルの意味がわかった。
歴史を考える上で結構参考になる『日本霊異記』
今回のテーマは“禅宗”のお寺なので
『煎茶への招待』
仏教とお茶は深い関係がある。
中でも興味があるのは“禅”と“煎茶”の関係。
いまさらこんなもんを読んでる場合じゃないのだけど・・
2007年10月14日
なつかしい未来へ
『なつかしい未来へ』現代農業 増刊号 農文協
“いま、この場所で、一人ひとりが地域の自然とともに個性ある暮らしをつむぐ。
そして、業種・業態を超えて、経済をともないながらも経済を超えて、
お互いに引き合い、交流し合う。そうしたつながりの結果として、豊かな地域、
豊かな社会が形成されていく。そこには、地域の暮らしを「断ち切らない」
「捨てない」「見失わない」_「なつかしい未来」がある。”
水俣市前市長吉井正澄氏の言葉
“もやい直し運動がめざすものは3つありました。
一つ目は、水俣病の対立で、多様な価値観が生まれた。
その多様な価値観を認めることのできる市民になろうということ。
二つ目は、自分と異なった意見にも耳を傾けることができる市民になろう。
三つ目は、お互いの垣根を低くして対話を進め、
新しいまちづくりのために、共通の価値観を創造しようとことです。
市民の意識改革が必要だと強く感じました。
そのための仕掛けとして取り組んだのは、人が出会う機会をつくり、
言葉を交わす場をたくさんつくろうということです。
そしてとにかく違う人が出会うイベントをたくさん行いました。
同じテーマで、会や催し物を行うと、同じ人が毎回来る。
これでは意味がないわけです。
イベントが成功したかどうかは何人集まったかで評価をするけれど
それは無意味。会合にはその会合に出たら利益がある、
興味があるという人がでてきます。
興味を持った人が、自発的に集まる会をたくさん作っていく。
その積み重ねで、少しずつもやい直しができていったのだと思います。”
“東海村では臨海事故をきっかけに「発展・開発からの脱却」のスローガンをかかげ、
ムラの再建へ向けて努力をされています。
私達は環境を大切にしましょうと言っているわけですが、
豊かさを否定しているわけではない。豊かさはとても大切です。
ただ、物質的、経済的な豊かさを追い求めるあまりに、自分達の足元の環境を
壊しては駄目だと言っているのです。
地域社会が壊れた経験をもつものとして、地域社会の大切さを訴え、
足元を見つめなおし、もやい直しをやろうと呼びかけています。”
2007年07月22日
ポスト・コミニュティ時代 その2
“外側と鉄の扉一枚で完全にきれてしまう完全密室が本当によいのか。
家族という単位は密室の中にそれほど閉じていないといけないものなのか。”
という疑問に対し、山本理顕氏は様々な試みを行っているが
当の家族には開く動機がなく「誰もそんなこと頼んでいないよ」と言われるのがおちだともわかっている。
しかし、その閉鎖性が現在社会の闇を作ってしまったことも事実でそれをなんとか家族の側から開かせることができないかと考える。
“一家族単位の高いプラーバシーの単位がもし外側と何らかの関係をもつとしたら,自己充足していた状態から自己充足できなくなったときに、外側と何らかの関わりがでてくるんじゃないかというふうに考えました。
たとえば幼児を保育所に預けるとか、高齢者を特別養護老人ホームに預けるとか、そういう状態になるととたんに住まいの自己充足性が破れてくるわけです。
でも、そういうものを外にほおりだすことによって、中のプライバシー単位は、相変わらず密室性を担保できるわけです。
破れそうなものは皆外に出してしまう。そういう状況が現代は住宅というハコの中でおきているわですよね。
それはなるべく自己充足したプライバシーを、住宅の外側から破られないような社会保障のシステムをつくろうとしているのではないかと思うのです。
でもほんとうはそうであるべきでないとしたら、どんなふうに外と関わるべきかを考えたいと思いました。
外にもっていってしまうのではなくて、住宅の中で何かをしようとすると、そこで初めて住宅と外の世界の相互の関係を考えるきっかけになるのではないかと思いました。
つまり、住宅の自己充足性が破れたときに、破れでたもののケアをし、何らかのかたちでサポートするということが集合住宅という単位の中で可能性があるとしたら、初めて集合住宅というものは密室化された住宅の単なるコピー&ペーストとは違って、もうひとつ違う関わり会い方がありえるようになるかもしれない。”
2007年07月21日
ポスト・コミュニティ時代 その1
『集合住宅をユニットから考える』渡辺真理+木下庸子著 新建築社 2,400円
![]()
渡辺氏
“僕達はそもそも建築家が設計によってコミュニティを発生させられるとは考えてもいない。場所を作ることが共同体を発生させることだとオプティミスティックに考えている建築家はいまどきほとんどいないと思うが,場所を作ることが人間の行為に必ず何らかの制約をもたらすことになるのも確か。建築家としては,むしろ,コミュニティ嫌悪がその対語としてのプライバシーを盲信する状況に人を追い込む場合があることが気になるところである。プライバシーを守ることは確かに大切だし、日本特有の世間というような怪しげなコミュニティと付き合いたくないのは僕も同感ではあるが、僕たちの周りにあまりに閉鎖的な住まいが多くないだろうか。”
木下氏
“家族の生活がユニットで完結して外とのコンタクトなしに展開されていることが,集合住宅の大きな問題だということです。住戸が外に対して閉ざされるということに限界がきてしまったのだと。だから生活自体を外に開いて外の人を住宅に迎え入れる,中の生活が外に出て行けば、社会もそれに応じてお互いがもっと交流をもつように変わるのではないかと思うんです。”
西沢立衛氏
“建築家の提案のほとんどが、インテリアへの提案となっていると感じた。屋外は防犯対策と、あとは室外機置き場という感じで、室内はすごく豊かであるにも関わらず、外に対してはほとんど提案的なことがなかった。インテリアと家具、住宅、庭、通り、都市、というのはすべて連続していると思うのです。
住宅だけに閉ざされる問題ではなく、もっと広い、都市とか生き方、ライフスタイルを示すのが重要なことだと思います。”
□
しばらくご無沙汰だった賃貸住宅の計画が最近ふえてきた。
昔と違うのは提案型の企画物件が多いことだ。
既成の枠にとらわれない比較的自由な発想もうけいれてもらえつつある。
というか、融資や制度的なことをトータルで考えていくと多面的に考えざるを得ないのが今の現状。
急速な社会の変化に各部署の法改正がおいつかず、基準法と他法との矛盾が整備されていない。
考えようによっては私達の腕の見せ所でもある。
とはいえ,あくまで賃貸なので経営上成立しないようなものは論外である。
それでも昔に比べて許容の範囲がものすごく広がったように思う。
<クライアントの質が変わったということもできるが>
昔は年寄りの一人暮らしは敬遠されるからとマンションを買う動機になったりしたものだけれど,近頃では予測に反し高齢者専用住宅が大流行だ。(世の中予測通りにも変化しない。)
時代も変われば社会のニーズもどんどん変化する。
建築もその時々の社会を反映しながら変化してきた。
が、この本の本筋
『住まいはプライバシーを守る器としては進歩したかもしれないが、
パブリックという視点は欠落するばかりだった。』
山本理顕氏
“外側と鉄の扉一枚で完全にきれてしまう完全密室が本当によいのか。
家族という単位は密室の中にそれほど閉じていないといけないものなのか。
昨今起こる様々な事件は、家族が密室化していることが原因ではないかということがたくさんある。”
これが最近の私のテーマ。