祝島の歴史を探る「盆くどき(1)」
“いつも踊らぬタッケエババアが、あしたはどんだ~け体重がへっとるか”
これ、何だと思いますか。
ユミさんがこの夏に唄った盆口説きです。
今回はこの「盆踊り」、「盆口説き」について考えてみたいと思います。
日本3大盆踊りのひとつに郡上八幡の徹夜踊りがあります。十曲の盆踊りを踊り手の様子を見ながら夜の8時から翌朝4時くらいまで繰り返し唄い、踊り続けます。
その口説きの中に『ヤッチク』という歌集があり、『白井権八』という口説きがあります。これは木村先生のhpに記載された『平井権八』と似たようなというかまったく同じで微妙に違う歌詞です。初めてこの歌詞をみたとき、大発見と勘違いしたのですが『平井権八』は実在の人物でこの人が起こした人情沙汰が芝居になったり、歌舞伎になったりして全国的に普及した唄のようです。郡上八幡には旅芸人が多く訪れて口説き唄や芸能をもたらし、伊勢参りや京へ江戸への人の行き来のオウライからも各地のおどり唄や座敷唄なども伝えられていきました。郡上に限らず盆口説きにはこうして歌い継がれてきた同じような唄が全国各地に存在しているようです。橋部さんの話では祝島でも『平井権八』の他に「鈴木主人」「お艶、清人」「木幡小兵次」などがあるようです。どれも全国的に唄われている唄です。
その他郡上八幡の盆口説きの中で唄われる“かわさき”もこの地方の盆口説きの中に多く存在します。
これは伊勢の“かわさき”に由来するものではないかと言われていています。江戸時代になると伊勢参りが全国的に流行し、伊勢神宮に参拝した後伊勢の河崎で精進落としをします。そこではやった“伊勢音頭”が郡上に戻ってきた人達によって伝承され“かわさき”となったのではないかということです。手のふりが印象的な踊りで手をならし下駄を履いた足で地面を蹴るしぐさ。祝島の踊りも手を打つ、地面をけります。手をならすのは拍手を意味し、下駄を強くふみならして地面を強くたたくのは、たたくことによって邪気をはらうという意味があるそうです。祝島の踊りもこの“かわさき”の踊りに共通するところが多いように思います。
踊りは十六世紀に盛んになった念仏踊りや風流踊りの流行で日本各地に伝わっていきました。盆踊りはその踊りの後に踊られたもので庶民の娯楽の少なかった時代には最大の娯楽として発展し、社交の場としても大いに賑わいました。そういうわけで踊りの歌詞の中に男女の情愛を唄っていたものが多いのも盆口説きの特徴のようです。
最後にこの夏の盆口説きの新作を紹介して終わりにします。
今回は資料が集まらず、まえふりということでお許しください。
「かずまもこんやはがんばってくどけ、いつもおこられまいにちすごす。(アラマカショイ)おこられておもうのはじぶんだけでござる。(アラヨヤサノセヨヤサノセ)じぶんをおもってゆうてることを。(アラマカショイ)それをおこられるとおもうのがまちがい。(アラヨヤサノセヨヤサノセ)かずまもおばちゃんにいつでもおこられ。(アラマカショイ)それでもいつでもゆみちゃん、ゆみちゃん。(アラヨヤサノセヨヤサノセ)いちばんかわいいかずまでござる。(アラヨヤサノセヨヤサノセ)つぎにかわいいのはみさきかりゅうま。(アラヨヤサノセヨヤサノセ)ここでじゃんけんしてもらおうか。(アラヨヤサノセヨヤサノセ)みさきまけたらいつでもおこる。(アラヨヤサノセヨヤサノセ)りゅうまはいつでもがまんのしっぱなし。(アラマカショイ)こんやははめはずしてぼんおどりしな。(アラヨヤサノセヨヤサノセ)」
ユミさんのほれぼれするような唄声と踊子の調子の良さが見事にマッチして楽しい盆踊りでした。
余談ですが毎年太鼓をたたいてくれる“イックーサー”が「ひとりで太鼓をたたくのはしんどいので誰か替わる人を来年はお願いします。」と橋部さんに泣きをいれていました。相棒のたっけーちゃんもいなくなって段々名物人間がいなくなり、寂しい盆踊りになりました。これも歳をとったということでしょうか。ほんと「盆は二度ある。若いときゃ一度(アラマカショイ)!」
記事は
去年放送されたダイドードリンクの“日本の祭り”郡上踊り参考。
郡上八幡は夏がおすすめ。
清流吉田川のたもとでボーとしているのがここちよい。
“郡上のナ八幡 出て行く時は”の抑揚のある声が耳から離れません。